labo. エルメス手帳の使い方

エルメス手帳をこよなく愛し、時々海外ドラママニア。大人らしく、都会で自由に暮らす。エルメス手帳の使い方を日々研究中。

見切りをつけたからこそ、また新しい出会いと学びがある

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台風が過ぎて本日快晴。月末ということもあって、PC前でカタカタと仕事をしていました。去年の9月ってもう思い出すだけでしんどかった。女の厄年だったのかとさえ思える、そんな苦しい時期でした(実際に後で調べたらそうだったらしい)。

 そんな中で、先日こんなツイートをしました。

この数年、決まった時期にはどんな形でも関わってきていたプロジェクト。今年は触れることもしなかった。ビジネスとしてはいろんな意味で見切りをつけるべきだったとわかっていた中、人との関わりなどでなかなかそうもできずにいました。周りから見れば、このプロジェクトは私の仕事の代名詞というか、私が関わっている仕事は“縁の下の力持ち”みたいなことが多くて、その中で数少ない表に出やすい(目に付きやすい)仕事だったのです。だからこそ、心のどこかで大事にしたいと思っていて。続けてきたことが結果として残ればいいなと思っていて。そんな中で迎えた、昨年の区切りの1年。

 

周りの協力を得られることを前提に、集大成で行おうと思いました。それが今年、来年とまた形を変えてでも繋がっていけばいいなと。それが、その協力者たちが思いもよらないことをした。すべてそのせいにするつもりはないけれど、今になって何度振り返ってもやっぱりおかしいとしか思えない事態に。表向きは過去最高の反響と、数字的な結果が出ました。それなのに、昨日ツイートしたのが今年の状況。

 

その場を離れた私が何を言う理由もないけれど、なんか残念です。コンテンツとしての可能性を感じていたからこそ、何年も関わってきたのに。正直に「あーあ」と思うこともあるし、起こった1つ1つのことに愚痴だってないわけじゃない。それでも、心のどこかで想定していた結果であることも、こう評価されることは、私にとってはマイナスではないことも分かっています。仕事をする人としては、自分のおかげとまでは言わずとも、少なからずやっていたことは間違ってなかったという確信。私の心の中の正直なところでは、過去に関わってきた人たちが必死で積み上げてきたものを、今年継続できなかったという残念な想い。

 

今、今年関わることに見切りをつけたことをまったく後悔していない。できることは全部したし、あれ以上のことを今年の私にはできないと思っています。そしてそんなずるずるとやってきたことに見切りをつけたからこそ、今新しいことができる自分がいる。綺麗事なんて今更ないんですよ。世の中利権だらけだし。その中ででも、出来る限り誠実に仕事をしたいじゃないですか。自分で決めて、自分で進めたい。それができる環境にまたなり始めたことを感じつつ、最近はまぁまぁのペースで仕事をしています。

 

任せるところは人に任せればいい。

自分のことは自分で決めればい。

そんな簡単なことを忘れていた去年。

今年はなかなかの状態で、1年の中盤戦に入りたいと思います。

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